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島薗進先生のブログ

島薗進・宗教学とその周辺 皆さんご存じでしょうけど、宗教研究の有名人。というか、宗教学会の会長してたり、東大の教授の島薗先生のブログにおもしろい記事があったので記載します。 島薗先生は宗教学のどのあたりを専門にしてるのか分からないんですけど、もしかしたら全部なのかもしれません。最近は死生学も盛んに研究されているみたいですし、どうなんでしょうか。ただこの先生はなんかすげー。としか言いようがないですね。 人によってはご批判もあるかもしれませんけど、目を通すだけの価値は十分になると思います。 以下抜粋です。 日本の世俗化と宗教概念 2010年6月1日 シンポジウム・国際ライシテ宣言とアジアの世俗化、2008年11月28日。(後、羽田正編『世俗化とライシテ』東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」、2009年、刊に収録)。 Ⅰ.日本の世俗化をめぐる4つの考え方   日本の世俗化はいつ頃に決定的な転機があったのか。これについては、4つの考え方があり、それぞれに妥当性をもっている。 第1の考え方では、16世紀から17世紀にかけて、仏教やキリスト教勢力を抑圧して、将軍権力が確立した時期がもっとも重要な転機だとするものだ。割拠する戦国大名と一向一揆の勢力を抑えて全国統一を行った織田信長は、その過程で本願寺や比叡山延暦寺などの強大な宗教勢力を武装解除し、武将の政権に従属する地位へと貶めた。続いて豊臣秀吉や徳川将軍はキリシタンを抑圧し仏教を一面優遇するとともに、仏教教団への強力な統制体制を整えていった。その後、支配階級である武士は行政官僚へと転じ、その精神的バックボーンとして次第に儒学を学ぶようになる。仏教の影響力が後退し、儒学や神道が統治の精神的根拠となっていく過程は世俗化の進展といえないこともない。  第2の考え方では、1867年の明治維新に続いて西洋諸国を見習いながら国民国家を形成期しようとした時期にこそ、日本の世俗化の決定的な転機がある。当初、神道国教化を目指した維新政府だが、仏教勢力の抵抗やキリスト教の布教容認や信教自由制度の確立を求める西洋諸国の要求に従って、それなりに「信教の自由」や「政教分離」を国家体制に具体化していくことになる。しかし、天照大神の血統を引く天皇の神聖な地位を国家統合の中心にすえる体制は次第に整えられていった。すなわち、国家神道体

新宗教研究

 最近知り合いの方になんで今新宗教研究してんの??  みたいなことを聞かれました。私が感じる範囲では悪意はなさそうだったんですけど、真相は分かりません。  確かに宗教学してると言うとなんで??というようなコメントは出ます。  研究者どうしだとそうでもありませんけど、学生間でもたまに聞きます。  なぜ?と聞かれると答えないといけないんですけど、なかなかうまい返しができない。というのも本音です。  それではいかんと前々から思ってはいるんですけど、なかなか実践できないもんです。  興味があるから。とかじゃしょーもないしな。どうしたもんかな…

善福寺

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天理に行ったので、善福寺に行ってきました。 門は明治初年に内山永久寺から移建されたらしいです。 浄土宗知恩院末 文化14年(1817)天理教教祖が、五重相伝を受けたお寺です。 冷泉為恭という有名な画家のお墓もありました。