国家神道と日本人 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ 11月 15, 2011 この新書は国家神道という明治維新前後の宗教形態を明らかにすることで、日本人の宗教観のようなものを明らかにすることを目的としている本というのが感想でありました。 このような試みは神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103) に代表されるようにかなりの研究の蓄積がある分野と言えるかと思います。 天理教の発生時期の周辺の事上もよく分かると思います。 それも踏まえて読んでみると良いかと思いますが… リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ コメント
天理教教祖誕生祭 4月 23, 2010 関西に行く用事があったので、天理市に行ってきました。 何も知らずに行くと黒山の人だかり?? おびただしい数の人がいました。 教祖誕生祭と婦人会100周年という行事があって、電車も満員、道路も渋滞… そんな感じです。 黒い法被と呼ばれるものを着ている人が多かったです。 出店も出てて、お祭りみたいな感じもありましたね。 老舗新宗教なんて記事を読んだこともありますけど、基本的には拝観料も無いみたいですし、自由に参拝するところにも入れました。 続きを読む
島薗進先生のブログ 7月 19, 2010 島薗進・宗教学とその周辺 皆さんご存じでしょうけど、宗教研究の有名人。というか、宗教学会の会長してたり、東大の教授の島薗先生のブログにおもしろい記事があったので記載します。 島薗先生は宗教学のどのあたりを専門にしてるのか分からないんですけど、もしかしたら全部なのかもしれません。最近は死生学も盛んに研究されているみたいですし、どうなんでしょうか。ただこの先生はなんかすげー。としか言いようがないですね。 人によってはご批判もあるかもしれませんけど、目を通すだけの価値は十分になると思います。 以下抜粋です。 日本の世俗化と宗教概念 2010年6月1日 シンポジウム・国際ライシテ宣言とアジアの世俗化、2008年11月28日。(後、羽田正編『世俗化とライシテ』東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」、2009年、刊に収録)。 Ⅰ.日本の世俗化をめぐる4つの考え方 日本の世俗化はいつ頃に決定的な転機があったのか。これについては、4つの考え方があり、それぞれに妥当性をもっている。 第1の考え方では、16世紀から17世紀にかけて、仏教やキリスト教勢力を抑圧して、将軍権力が確立した時期がもっとも重要な転機だとするものだ。割拠する戦国大名と一向一揆の勢力を抑えて全国統一を行った織田信長は、その過程で本願寺や比叡山延暦寺などの強大な宗教勢力を武装解除し、武将の政権に従属する地位へと貶めた。続いて豊臣秀吉や徳川将軍はキリシタンを抑圧し仏教を一面優遇するとともに、仏教教団への強力な統制体制を整えていった。その後、支配階級である武士は行政官僚へと転じ、その精神的バックボーンとして次第に儒学を学ぶようになる。仏教の影響力が後退し、儒学や神道が統治の精神的根拠となっていく過程は世俗化の進展といえないこともない。 第2の考え方では、1867年の明治維新に続いて西洋諸国を見習いながら国民国家を形成期しようとした時期にこそ、日本の世俗化の決定的な転機がある。当初、神道国教化を目指した維新政府だが、仏教勢力の抵抗やキリスト教の布教容認や信教自由制度の確立を求める西洋諸国の要求に従って、それなりに「信教の自由」や「政教分離」を国家体制に具体化していくことになる。しかし、天照大神の血統を引く天皇の神聖な地位を国家統合の中心にすえる体制は次第に整えられていった。すなわち、国家神道体 続きを読む
日本人の死生観を読む 3月 22, 2012 毎日新聞の今週の本棚という企画欄に島薗進先生の『日本人の死生観を読む』が紹介されていました。 日本の新宗教研究でも著名な先生ですので紹介致します。 以下の通りです。 http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120318ddm015070013000c.html 今週の本棚:沼野充義・評 『日本人の死生観を読む』=島薗進・著 (朝日選書・1470円) ◇むき出しの「死」とまともに向き合うために 文明はおぞましいものを人の目から隠す。その最たるものは死だろう。特に日本では報道でも死体を映しだすことを極力避けるので、いまの子供たちは人の死に直面することがほとんどない。ところが、昨年三月の大震災は突然、死をむき出しの形で私たちに突きつけた。一方、原発事故はまだ放射能による死者を出していないと指摘する人がいるとはいえ、多くの人々と広大な土地と自然を緩慢な死の潜在的な危険にさらした。 そんな折に、ぜひ読むべき好著が出た。『日本人の死生観を読む』は、近代日本において「死生観」を表現した日本人の書物やテキストを読み解いていくことによって、人の生き死にとはいったい何であるのか、考える本である。著者は「死生学」という耳慣れない多分野的学術研究のリーダー格として尽力してきた宗教学者。「納棺師」、つまり死者を葬儀の前に棺に入れる儀式に携わる人を主人公とした映画「おくりびと」とその原作から説き起こし、「死生観」という言葉を確立した明治時代の宗教思想家、加藤咄堂(とつどう)にいったんさかのぼり、それから作家の志賀直哉、民俗学者の柳田国男とその業績を引き継いで独自の学問体系を展開した折口信夫、戦艦大和に乗って沖縄特攻作戦をかろうじて生き延びた吉田満、そして最後には、がんと直面して生きた宗教学者の岸本英夫と作家の高見順へと、考察を進めていく。 ここに登場する死生観はじつに多様であり、ここで簡単に要約することはできない。儒教・仏教・武士道を背景に「死生観」を打ち立てようとした加藤咄堂に対して、乃木大将殉死の報(しら)せを聞いて「馬鹿な奴(やつ)だ」と日記に書いた志賀直哉。日本の「常民」に見られる「円環的」(生まれ変わりを信ずるといった)死生観を理解しながら、それが近代社会においてどのように生かされうるのかについて考えた柳田と 続きを読む
コメント
コメントを投稿