天理教と雅楽 其ノ九

太平洋戦争勃発は、少なからず天理教の雅楽に影響を与えたようである。年々盛んになっていた演奏会は開かれることはなく、祭儀や慰霊に演奏する程度となった。この影響は、戦中の困窮とも重なり、戦後もしばらく続いたようである。
教会本部では、楽器の購入、譜本の作成、講習会の開催などを通して徐々に復興を目指していた。
昭和22年に大阪教区雅楽部の発足、昭和24年の雅楽愛好家が観月演奏会を開くなど教団内の雅楽の復興の兆しがあるように思えるが、全体的な活動としては昭和26年頃になる。
昭和26年に、東京教区雅楽が再結成された。また河原町雅韻会も、初心者の合宿講習会や、各管ごとの講習会を開催した。
昭和26年に秋季大祭の日に、「舞楽奉納の夕」を開催し、教会本部雅楽部の主催で開催され、このときに東京教区が創作舞楽「陽和楽」を披露したとされる。
この頃から徐々に雅楽への関心が再び出て来たと言えるであろう。

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