2012/03/28

臨床宗教師の創設:東北大学

東北大:宗教の枠超え悲嘆と向き合う 来月から研究の講座を設置 臨床宗教師の創設も

という記事を見つけました。本当に興味深い記事でしたので、記載させて頂きます。


東北大は26日、宗教者が特定の宗教を超えて人々の悲嘆と向き合えるよう研究する「実践宗教学寄付講座」を4月から3年間、大学院文学研究科に設け ることを正式決定した。宗教への中立性を求められる国公立大では異例の試み。将来的には宗教者らが人々の悲しみを癒やす「臨床宗教師」(仮称)の資格制度 の創設を目指すという。【平元英治】
 県内のキリスト教系団体でつくる一般財団法人「東北ディアコニア」からの寄付金で運営。教授1人、准教授2人を置き、東日本大震災により家族や知人を失った被災者が悲しみに沈んでいることを受け、宗教から被災者に寄り添う方法を模索する。
 欧米で宗教者が大学で専門教育を受け、軍人や治療の見込みがない患者の悲嘆に向き合う「チャプレン」として働く仕組みが定着していることを研究。 大学などで日本の伝統的な生命観などを学びながら、人々の人生と向き合えるよう育てる仕組みづくりを考察する。震災の被災者支援に携わってきた仏教の僧侶 らを招いた講義も検討している。
 講座の立案者の一人、東北大の鈴木岩弓教授(宗教民俗学)は「震災では万単位の犠牲者が出た。やりきれない思いをしている遺族や、死生観を考え直 した人々はその何倍もいる。『臨床心理士を配置すれば、被災者の心が癒やされる』というレベルを超えている」と講座の必要性を強調している。
 ディアコニアの川上直哉理事長は「宗教者の仕事は、人々の苦しみを軽くすること。役割を更に果たすためのステップになるよう期待している」と話している。

2012/03/22

日本人の死生観を読む


毎日新聞の今週の本棚という企画欄に島薗進先生の『日本人の死生観を読む』が紹介されていました。
日本の新宗教研究でも著名な先生ですので紹介致します。

以下の通りです。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120318ddm015070013000c.html


今週の本棚:沼野充義・評 『日本人の死生観を読む』=島薗進・著 (朝日選書・1470円)
◇むき出しの「死」とまともに向き合うために
文明はおぞましいものを人の目から隠す。その最たるものは死だろう。特に日本では報道でも死体を映しだすことを極力避けるので、いまの子供たちは人の死に直面することがほとんどない。ところが、昨年三月の大震災は突然、死をむき出しの形で私たちに突きつけた。一方、原発事故はまだ放射能による死者を出していないと指摘する人がいるとはいえ、多くの人々と広大な土地と自然を緩慢な死の潜在的な危険にさらした。

そんな折に、ぜひ読むべき好著が出た。『日本人の死生観を読む』は、近代日本において「死生観」を表現した日本人の書物やテキストを読み解いていくことによって、人の生き死にとはいったい何であるのか、考える本である。著者は「死生学」という耳慣れない多分野的学術研究のリーダー格として尽力してきた宗教学者。「納棺師」、つまり死者を葬儀の前に棺に入れる儀式に携わる人を主人公とした映画「おくりびと」とその原作から説き起こし、「死生観」という言葉を確立した明治時代の宗教思想家、加藤咄堂(とつどう)にいったんさかのぼり、それから作家の志賀直哉、民俗学者の柳田国男とその業績を引き継いで独自の学問体系を展開した折口信夫、戦艦大和に乗って沖縄特攻作戦をかろうじて生き延びた吉田満、そして最後には、がんと直面して生きた宗教学者の岸本英夫と作家の高見順へと、考察を進めていく。

ここに登場する死生観はじつに多様であり、ここで簡単に要約することはできない。儒教・仏教・武士道を背景に「死生観」を打ち立てようとした加藤咄堂に対して、乃木大将殉死の報(しら)せを聞いて「馬鹿な奴(やつ)だ」と日記に書いた志賀直哉。日本の「常民」に見られる「円環的」(生まれ変わりを信ずるといった)死生観を理解しながら、それが近代社会においてどのように生かされうるのかについて考えた柳田と折口。戦争やがんといった、個人の力では対抗できないものに直面し、虚無を見てしまったところから、改めて生の意味をとらえ直した吉田満や高見順。

ちなみに、ロシアの文豪トルストイは、若いころ、ある田舎町の宿で夜中にはっきりした訳もないのに、それまで体験したこともない激しい死の恐怖に襲われたという。ある意味では、その後の彼の生と巨大な作品の数々は、その恐怖を克服しようとする努力の軌跡だった。私たちはよりよく生きるためには、そして、生きることの喜びを感じるためには、死を見つめなければならない。それはまた本書から響いてくるメッセージでもある。島薗氏の書き方は学者的でつねに冷静、思いのたけを感情的に吐露するということはないが、それだけにここで取り上げられている事例の一つ一つが重く胸を打つ。

本書の効用のもう一つは、優れた文学作品の力を改めて、死生観という角度から照らし出してくれることだ。冒頭に引用される宮沢賢治の「ひかりの素足」は、雪の中で死にゆく弟を必死に助けようとする兄の話だが、生と死を見つめる賢治の透徹したまなざしには、誰しも心を揺さぶられることだろう。学校で読まされたとき退屈だった志賀直哉の『城(き)の崎にて』も、見違えるようだ。

私は根が軟弱なので、いまだに権益を守ることや保身に汲々(きゅうきゅう)としているように見える電力会社経営者や、役人や、御用学者たちに、「責任を取れ」などとは言わない。ただ、せめて死にまともに向き合いなさい、と言いたい。どうかこの本を読んで考えてください。

宗教学者の著書が全国版の新聞で紹介されることって珍しい(よくわかりませんが…)かと思い紹介いたしました。

2012/03/20

天理教教義学研究―生の根源的意味の探究

澤井義次著『天理教教義学研究―生の根源的意味の探究』
昨年の11月に出版された書籍です。なぜかチェックしていなくて最近になって存在を知りました。
天理教教義学というと諸井慶徳氏がかなり精力的に行っていたようですが、これまでは同名のタイトルの書籍はありませんでした。
そういう意味では天理教を内側から見た学問としては意味のある一冊ということになるかと思います。
私のような浅学には深く理解はできませんが、ご興味のあるかたはどうぞ…



2012/03/16

大乗仏教と小乗仏教とは何か?

今回は天理教や新宗教とはことなることを書きます。
というのもタイトルにあるように何がどう違うのかいまいちわからないからなんです。
大乗は北伝とも言われ、サンスクリット語の仏典が主に翻訳され中国、朝鮮半島、日本と伝わって来ました。
小乗は南伝とも上座部とも言われパーリ語仏典が主に翻訳され、スリランカ、ミャンマー、タイという具合に東南アジア諸国に伝えられました。
お釈迦様は81歳で亡くなられ(入滅)ました。仏典というのはガヤー村のピッパラ (pippala) 樹の下で悟りをひらきその後お弟子さんたちに説いた教えをまとめたものだと解釈してます。
それらのまとめたものは八万四千のお経があると言われており、直接お釈迦様の口から説かれたものを小乗教典。お釈迦様の教えに従って教えをより深く説き明かしていって作られたお経や注釈書が大乗教典と呼ばれているようです。
これらが北と南に分かれて時代とともに解釈が変わっていった。というぐらいのことなんでしょうか。
小乗は出家しないと涅槃の世界にはいけないと思っていたんですけど、小乗でも出家しなくても阿羅漢になれるということらしく、だんだんややこしくなってきました。

大乗仏教と小乗仏教の根本の違いはこの点だと思っていたんですけど、実際は違うようです。

やはり仏教という枠組みで考えること自体が無謀という一言でかたづけられるということなんでしょうか…

2012/03/07

雅楽「源氏物語」のうたまい

『雅楽「源氏物語」のうたまい』佐藤浩二著
天理大学雅楽部顧問の佐藤先生の著書です。知り合いの人から譲ってもらって手にすることができました。
全ページカラーですし、文章もわかりやすく、写真もふんだんに使われているので初心者にはよろしいかと。DVDも付属していて、楽器の名称から楽曲の説明がわかりやすくされています。特に天理大学といえば「伎楽」ですが、伎楽の説明もありますので、ご興味のある方はどうぞ。