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天理教教祖誕生祭

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関西に行く用事があったので、天理市に行ってきました。 何も知らずに行くと黒山の人だかり?? おびただしい数の人がいました。 教祖誕生祭と婦人会100周年という行事があって、電車も満員、道路も渋滞… そんな感じです。 黒い法被と呼ばれるものを着ている人が多かったです。 出店も出てて、お祭りみたいな感じもありましたね。 老舗新宗教なんて記事を読んだこともありますけど、基本的には拝観料も無いみたいですし、自由に参拝するところにも入れました。

石上神宮

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今回は新宗教でありませんが、新宗教とゆかりが若干あるということで… 石上神宮に行ってきました。『日本書紀』に記された神宮は、伊勢神宮と石上神宮だけであり、日本最古設立の神宮と言える。 ようはすごい歴史のある神宮ということになります。 桜のきれいな時期だったので、花見もしてきました。近くに山辺の道もあるので、参拝者、旅行者などなど多くの人がいました。 祭神 布都御魂(ふつのみたま)神 布留御魂(ふるみたま)神 布都斯御魂(ふつしみたま)神配祀 宇摩志麻治(うましまじ)命 五十瓊敷(いにしき)命 白河天皇 市川臣 主祭神の布都御魂神は、また佐土(さじ)布都神ともいい、神代に武甕雷神がおびていた霊剣で、平国之剣(くにむけのたち)ともいわれる。「記紀」によれば、神武天皇御東征の時に天降られ、邪神を破り、国々を平定された威徳により、物部氏の遠祖、宇摩志麻治命をして、宮中に奉斎された。  のち崇神天皇七年、物部の伊香色雄命が大臣の職にあった時、詔により天社(あまつやしろ)、国社(くにつやしろ)を定めて八百万神を祀らしめられて、布都御魂神と共に石上の高庭の地に祀られ、石上大神と称えたのが、石上神宮の創めである。  物部氏が累代奉仕の任務につき、素盞鳴尊が八岐大蛇を退治された天羽斬剣(あめのはばきりのつるぎ)も祀られ、我が国の霊剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)を除き当宮に祀られることになった。ついで五十瓊敷命が剣一千口を作り神庫(ほくら)に納め、さらに丹波国桑田村の人甕襲(みかそ)が八尺瓊(やさかにの)勾玉を献じ(「日本書記」垂仁天皇87年の条)「釈日本紀」に引く天書には、天日槍(あめのひぼこ)の所来の神宝も納められ「神宮」の称号と共に古代史上独歩の地位をしめていた。下って平安時代末期にいたり、白河天皇の尊信あつく、永保元年(1081)鎮魂祭のために、宮中三殿の一つ、神嘉殿を拝殿に寄進され、神門を改めて、今日の機構に築造され、寛治6年(1092)上皇として親しく神宮に参詣された。  本社の称号は石上神宮・石上振神宮・石上布都御魂神社・石上布都大神・石上神社などと称され、また岩上大明神・布留大明神ともいわれ、略して布留社・石上社とも呼ばれた。  延喜式神明帳には、石上坐布都魂神社と見え、早くから官幣に預ったが、明治4年に改めて官幣大社に列し、同16年に、神宮号の復称が許された。  例祭