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天理教と雅楽 其ノ十

昭和28年2月には、教会本部雅楽部が大正12年に第一回を記した演奏会を「よなほり演奏会」として復活し、10月には、青年会主催の青年雅楽発表会が天理教館において開催された。この演奏会には、天理教校専修科などが出演した。 このとき東京教区は新作舞楽「黎明」を発表し、大阪教区は「迦陵頻」を童舞で披露したとされている。

天理教と雅楽 其ノ九

太平洋戦争勃発は、少なからず天理教の雅楽に影響を与えたようである。年々盛んになっていた演奏会は開かれることはなく、祭儀や慰霊に演奏する程度となった。この影響は、戦中の困窮とも重なり、戦後もしばらく続いたようである。 教会本部では、楽器の購入、譜本の作成、講習会の開催などを通して徐々に復興を目指していた。 昭和22年に大阪教区雅楽部の発足、昭和24年の雅楽愛好家が観月演奏会を開くなど教団内の雅楽の復興の兆しがあるように思えるが、全体的な活動としては昭和26年頃になる。 昭和26年に、東京教区雅楽が再結成された。また河原町雅韻会も、初心者の合宿講習会や、各管ごとの講習会を開催した。 昭和26年に秋季大祭の日に、「舞楽奉納の夕」を開催し、教会本部雅楽部の主催で開催され、このときに東京教区が創作舞楽「陽和楽」を披露したとされる。 この頃から徐々に雅楽への関心が再び出て来たと言えるであろう。

国家神道と日本人

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この新書は国家神道という明治維新前後の宗教形態を明らかにすることで、日本人の宗教観のようなものを明らかにすることを目的としている本というのが感想でありました。 このような試みは 神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103) に代表されるようにかなりの研究の蓄積がある分野と言えるかと思います。 天理教の発生時期の周辺の事上もよく分かると思います。 それも踏まえて読んでみると良いかと思いますが…

天理教と雅楽 其の八

雅楽の愛好者が教団内で徐々にではあるが、増加すると、自主公演だけではなく、合同の演奏会や発表会が開催されるようになった。 古いところでは、昭和5年より、従来は教会本部雅楽部独自で開催していた雅楽演奏会を、天理中学校、天理教校と合同で行うようになり、昭和16年1月25日には、天理時報社主催による第一回雅楽競演会が天理教館を会場に開催された。 このときには、7団体が合計17曲演奏した。同年10月には、天理教雅楽連盟主催の演奏会が行われた。 この演奏会では、教会本部雅楽部、天理中学の他に名古屋教区庁婦人雅楽部の参加があり、更に、当時、本部の雅楽指導をしていた元宮内省楽師の大村恕三郎が篳篥の模範演奏を行っている。

天理教と雅楽 其の七

教会本部の雅楽部(現在あるのかは不明)の体制がだんだんと整いだし、教内の雅楽熱が高まってくると、雅楽は教育の場にも取り入れられるようになる。 まず、昭和3年、天理中学校(現在の天理高校)の設立とともに、課外クラブ活動として雅楽部が設立され、これが現在の天理高校求道部雅楽班となっている。 昭和5年には天理教校内によのもと会が組織され、この中に、舞楽部、管弦部が設立された。これが現在の天理教校専修科雅楽班となっている。 両校の活動は、自主公演としての雅楽演奏会を開催するなどである。また雅楽を習得した両校の卒業生によって各地の雅楽に対する関心が一段と高められている。

天理教と雅楽 其の六

教祖40年祭に向けての活動は、だんだんと教団内で動きを見せてきた雅楽にも拍車をかけることになった。 初代真柱夫人の中山たまへの命により、大正14年は、各直属教会より派遣のひのきしん青年は雅楽を習得することになり、教祖40年祭には20名ほどが奏楽の奉仕をするなど、教会本部の雅楽としての形態がととのってきた。  それから、教会本部では、教祖年祭はもとろんのこと、月次祭、大祭、そのほかの祭儀に関わる行事には奏楽が行われ、その奉仕者が、天理教の雅楽の中心となって指導をおこない、普及につとめ、更に各種の演奏会に出演するなどの機会をつくり、対外的な活動をおこなうようになる。

天理教と雅楽 其の五

その後、各地方に点在する部内教会でも大和舞を行うようになり、その普及のため講習会が開催され、これを契機に教団内で雅楽への関心が高まっていった。 この頃からおつとめ(1)の復元とともに「神の御国」は昭和8年春、廃止となる。祭儀との関係により取り入れられた天理教の雅楽も、月次祭の奉仕としての雅楽は当然であるが、音楽としての雅楽にも関心が高まり、大正10年頃にできた河原町大教会の雅韻会のように各教会ごとに愛好者が雅楽会を組織するようにもなり、講習会、演奏会が各地で開かれるようになる。 教会本部でも、大正12年2月には、第一回の雅楽講習会を開催しており、その最終日にあたる2月11日には、第一回雅楽演奏会を参拝場(?)神殿(?)_(現在の会議所)を会場に開催している。これは、昭和5年頃まで、毎年、開催されている。 (1)三原典の一つであるみかぐらうたを行うこと。

イスラム教からキリスト教に改宗したイラン人牧師

ブログのタイトルは関係ありませんが、気になった記事を毎日新聞で見つけましたので、書いてみます。 イスラム教からキリスト教に改宗したイラン人牧師に対し、死刑判決が確定する可能性が高まり、欧米の政府・人権団体から批判が高まっている。イスラム共同体の安定を重視するイランと、個人の自由を優先させる欧米との価値観の違いが対立を生んでいるようだ。 牧師はイラン北部ラシュトで約400人の信徒を持つ男性のユセフ・ナダルハニ被告(32)。イラン学生通信などによると、被告は、キリスト教に改 宗したとして09年10月に、イスラム教侮辱の疑いで逮捕された。弁護士は「牧師は19歳でキリスト教徒になった。それ以前に特定の宗教を信じているとの 認識がなかった」とし、改宗に当たらないと主張。しかし、09年11月にラシュトの地裁はナダルハニ被告に死刑を言い渡し、10年9月に高裁もこの判決を 支持した。 一方、最高裁は今年6月、高裁に審理の差し戻しを命令。高裁は9月末、イスラム教徒に戻るよう再三求めたがナダルハニ被告が拒否した。高裁は今月9日、判決を前に最高指導者ハメネイ師に死刑是非の判断を委ねた。 イスラム教シーア派を国教とするイランでは、キリスト教やユダヤ教の信仰を認めている。しかし、イランに限らずイスラム社会は改宗を許しておら ず、原則的に死刑が相当と考えられている。人権問題に詳しいテヘラン在住のキーア・メマルザデ弁護士(36)によると、これまで改宗を理由にした逮捕者は 複数いるが、死刑が確定した例はないという。 米英政府や欧州連合のほか各地の人権・キリスト教団体は、イラン政府に牧師の釈放を要求している。国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」 のジョー・ストーク中東局長代理は「イランは21世紀に入っても個人に『信仰か死か』の選択を迫る数少ない国のひとつ。死刑は論外」としている。 http://mainichi.jp/select/world/mideast/news/20111015k0000m030129000c.html 改宗牧師、死刑の可能性 欧米で批判高まる 小杉泰・京都大大学院教授 中東では、何を信仰するのかは、個人ではなく共同体によって決まる。生まれた時に属する宗教共同体の信徒となるので、通常はイスラム教の社会に生まれたらイスラム教徒、キリスト教ならキリスト教徒になる。

天理教と雅楽 其の四

天理教の一派独立運動は、天理教の雅楽に一大転換期をもたらした。それは、政府から、「みかぐらうた」を廃止するように圧力がかけられ、苦慮した初代真柱は、大和舞「神の御国」を取り入れることとしたからである。 この「神の御国」は、21代集の中から初代真柱が15首選定し、これを宮内省に楽と舞の譜の製作を依頼してできたものである。大和舞は、四人の舞人が歌と笏拍子、和箏、笛、篳篥の伴奏にあわせて舞うものであった。 明治39年1月末から2月初めには、教会本部より梶本宗太郎、桝井安松、増井丑松、桝井政治郎、上田樽治郎、松田元治郎、喜多秀太郎らが、時の宮内省楽部楽長である芝葛鎮をはじめとする宮内省の令人に「神の御国」の指導を受け、同年2月18日に執行した教祖20年祭には、初めて大和舞を奉仕した。

天理教と雅楽 其の三

天理教では、明治時代の宗教政策により、天理教が制度上神道(教派神道)の枠内に組み込まれたことで雅楽に関係を持つようになる。神道形式の祭儀を行うようになるとともに、その儀礼の音楽である雅楽も用いられるようになったと考えられる。(しかし何かの本に「がくにん」ということばも出て来ていたような…) 天理教の儀礼の中に雅楽が初めて取り入れられたのは明治20年(1887)2月23日(陰暦2月1日)の教祖・中山みきの葬儀のときらしいが、実際、奏楽されたかは明らかでない。翌明治21年の教祖一年祭のときには、春日の伶人竹内昭方他6名の人が奏楽している。その後、天理教教会本部仮開筳式(明治21年4月)、天理教教会本部開筳式(明治21年11月)、教祖5年祭(明治24年1月)、教祖墓地改葬(明治25年5月)、教祖10年祭と式典が行われ奏楽されている。 しかしこれまでの奏楽の演奏者は、春日や神道本局といった、天理教外の人々であるが、時期は不明だが、天元組や郡山系統などの雅楽の心得のある人々が演奏しているようである。

天理教と雅楽 其の二

雅楽の文字は、中国でも朝鮮半島でも古来より用いられててきたが、現代の日本でいう雅楽は、古来より日本人が培ってきた音楽とアジア大陸の各地で生まれ育てられてきた、およそ1400年以前より、順次日本に伝えられた音楽とが融合し、平安時代に整えられたものをいいます。 楽曲や音楽形式などに多くの消長はあったが、宮廷祭祀や貴族の嗜好として。 また寺院、神社などの宗教儀礼にも取り入れられ、連綿と受け継がれてきたものである。 明治維新後は、広く民間でも雅楽を習得出来るようになり、神道を国家の宗教とする政策(国家神道)にともない、雅楽は神道の典礼の音楽として隆盛となりました。 更にこのような中に一芸術としての地位をえるようにもなった。

暗黙知の次元

マイケル・ポランニーの『暗黙知の次元』です。 こちらも言わずとしれた世界的に(?)有名な書籍です。 宗教研究をする上では必読の書籍だと思います。 こちらもデュルケムなどと一緒で引用も紹介も議論はかなりされていますし、ネットにありますからそちらを参考にして頂いた方が、良いと思います。 とりあえずとても良い本です。

宗教生活の原初形態 岩波文庫

以前にも掲載しましたが、言わずと知れた古野清人先生訳のデュルケムの『宗教生活の原初形態』です。これは絶版したみたいだったんですけど、岩波文庫から再版されてまして、おもとめやくすなりました。 私が購入したときはまだまだ高かったんですけど、今は安くなりました。というかこの値段でこの書籍が買えるならかなりお得です。 翻訳は古野先生。姉崎正治のお弟子(?)さんなのかは分かりませんが、日本での宗教社会学ではかなりの大物です。 天理外国語学校(現在:天理大学)の校長もしていたり、九大の宗教学講座の教授をしたりと有名な先生です。 本の内容は何か記載しようかと思ったんですけど、いろんなところで議論がされてますし、引用も多い文献ですので、ご感想はそれぞれの方にお任せ致します。

天理教と雅楽 其の一

天理教の儀礼などに使われている雅楽について不定期でなおかつ短文で掲載していきます。  雅楽とは、俗楽に対する雅正の楽の意味だそうです。 しかし音楽に本来雅俗の別はありません。  主にその音楽が、例えば、儀礼や祭祀などとの結びつきのように、いわば、社会において果たしてきた役割や文化的、民族的嗜好性などによって区別されてきた。したがって、一口に雅楽といっても、国によってあるいは歴史的にも相違する点はある。

宗教学会第70回学術大会

今月の2~4日に関学で日本宗教学会学術大会が行われました。 私は行きたかったんですけど、台風の影響でいけませんでいた。 事前参加費は支払っていたのに… 毎年思うのは、最近は仏教系の研究者の数の多いこと。とくに実践者(僧侶、神父、牧師、教師など)が参加していることが宗教学会のおもしろいところだと思ってます。 来年こそは発表したいな~~

天理教と雅楽 其の一

 天理教の儀礼などに使われている雅楽について不定期でなおかつ短文で掲載していきます。  雅楽とは、俗楽に対する雅正の楽の意味だそうです。  しかし音楽に本来雅俗の別はありません。  主にその音楽が、例えば、儀礼や祭祀などとの結びつきのように、いわば、社会において果たしてきた役割や文化的、民族的嗜好性などによって区別されてきた。したがって、一口に雅楽といっても、国によってあるいは歴史的にも相違する点はある。

秩序の方法

今日は個人的に大好きな本を紹介します。 浜本満氏の「秩序の方法」です。 この先生は文化人類学の先生です。フィールドはアフリカ。主に呪術の研究をしていてその筋では有名な先生だそうです。 このテキストはおもしろかったんですけど、購入しようにも売っていないのが残念なところです… 新宗教研究には関係ありませんが、宗教人類学の分野からでは大変意義のある書籍かと… 「秩序」という概念を人類学から上手い具合に書いてるので、とてもおもしろかった。というざっくりした感想です…

宗教者災害支援連絡会(宗援連)

3月11日の震災後、東京大学の宗教学研究室や東京大学の仏教青年会などがが中心となって 宗教者災害支援連絡会(宗援連) が立ち上げられたことを先日書きましたが、サイトを見つけることができなかったのですが、見つけたので書きました。 情報が遅くて情けない… 宗教(者・教団)関係の方々でネットワークを築き宗教(者・教団)で復興に役立つことをやっていきましょう。という組織のようです。 頻繁に研究会や現地での活動をされているようです。 宗教間対話を通じての活動でしょうから個人的にも興味深く、かつ大変意義のあることだと思って見ています。

Basel Tattoo 2011

今回は研究には関係ないんですけど、ネットでいろいろと調べてるとこういうのに出会いました。 Basel Tattoo 2011 愛町分教会は教団内でもたいへん有名な教会なんですけど、そこの吹奏楽団というのもまたまた世界的に有名みたいなんです。 それで今年Basel Tattooという世界的に有名な音楽会に参加したんだとか。 文献なんかでこの愛町分教会の先生を呼んだことがあるんですけど、いろいろな書き方がされているなかなか興味深い人だと思いました。

震災を受けて

3月の震災から早いもので、五ヶ月がたとうとしています。 今日のNHKで宮崎駿親子の特集を見たんですけど、やっぱり職人というかプロというか考え方が大変なもんだと感嘆してしまいました。 震災に対しての構えというかなるほどな。と思いました。 今回の震災で日本(人)に与えた影響というのは、目に見えにくい部分にも大きな影響があるんだと思った次第です… 実際、東大の島薗先生が発起人で宗教家の震災対策室(?)みたいなものが出来ていたり、人類学、民俗学、社会学などなどの学問分野でも災害、地震、環境などの分野に関する議論が活発になってきているようにも思います。 具体的なことは何一つかいておりませが…

新宗教研究に向けて

なんだかんだで研究が出来ていない今日この頃… 何か本を読むか~っと思ってたときに、何冊か良さそうな本を探しました。 乾孝・小口偉一・佐木秋夫・松島栄一 1955『教祖――庶民の神々』青木書店。 この本がおもしろそうなんですけど… 本書は、天理教、大本教、生長の家、霊友会等の教団を対象に、教祖やそれに準ずる人々の伝記が主な内容です。ご興味のある方はどうぞ

支援のフィールドワーク

支援のフィールドワーク―開発と福祉の現場から 小國和子、亀井伸孝、飯嶋秀治(編) 3月におきた震災の後、なにか人文系(特に、人類学、宗教学、民俗学周辺)の研究分野で有用な本は無いかと探しているときにこの本に出会いました。 論集になっているんですけど、若手と呼ばれる研究者が執筆をしてまして、それぞれの研究地(フィールド)を通して、「支援」というものについての議論を展開してます。 (まだ全部読み込んでいないんですけど…) ご興味のあるかとは是非どうぞ。

子供おぢばがえり

天理教では毎年7月終わりから8月はじめまでの10日間ほど子供おぢばがえりという行事が開催されるそうです。ようは子供が天理に「帰る」ための行事で歴史は現在の体制になってから30年ほど。それよりも以前にも行事が開催されていたようですから、歴史はかなり長いものになってます。 友人に聞くとこの時期はなにかと忙しいんだとか。 今年こそは一度見てみようと思いつつ、結局未だみたことがありません…どの教団でもこういった行事が開催されているのかは分からないんですけど、ネットやyoutubeでみるんじゃなくて実際に見てみたいな…

マルセル・モースの世界

マルセル・モースの世界はモース研究会から近刊の『モース著作集』全6巻に先だってだされた本みたいです。特に関一敏氏の第4章宗教「コトバとモノ―モース宗教社会学の基本要素」がおもしろかった。 それと岡本太郎との関係なんかも知りませんでしたので、おもしろい一冊でした。

島薗先生のブログ

福島原発事故災害への日本学術会議の対応について http://shimazono.spinavi.net/?p=225#more-225 というブログの記事を読んで研究者とはこうあるもんかと感じましたので、紹介します。 確かに原発問題の件を研究者はどう見てるんだろうか?と思うこともあったんですけど、この記事を読んでなるほどと思いました。

最近…

最近世界救世教に関心を持つようになりました。 日本ではあまり聞きませんが、タイとブラジルにはかなりの信仰者がいるんだそうです。 ただし日本語の文献があまりないようですので、これからどう探していくのかが課題となりそうです。

道友社 web store

http://doyusha.net/ こちらです。 天理教関係の文献がだいたい手に入ります。 実はこれを知ったのはつい最近です。 なぜ気がつかなかったんだろう… ほかの新宗教系の教団もこんなウェブストアがあるんだろうか… もうすこし探してみよう。

二月

 気がつけば二月になっていた。  特になりを書くつもりもなく、研究も俄然進んでいないので本当に書くことがありません。  

天理教のお節会

 今年の6日に天理教のお節会に行ってきました。  寒いなか大勢の人がいました。(政治家なんかもいて驚きました…)  知り合いに聞くとずいぶん参加者が減ったと行ってましたけど、それでも人はたくさんいたように思います。  雑煮の味も良かったです。  このお節会は他の新宗教系はやっているのかと疑問に思いました。  新宗教系はもともと神道下におかれた時代もありましたし、正月の伝統を保持(?)しているということだとどうなんだろうか…  お節会の起源なども知らないのでなんとも言えないんですけど…  

最近の宗教研究

 年も明けていざ研究と思っていたんですけど、なかなか作業が進まず何にもしてません。  新宗教の研究動向を調べようと思ったんですけど、結局そんなこともできずに終わってます…

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。 本年はもう少し記事を増やして行きたいと考えております。 本年も宜しくお願い致します。