善福寺 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ 7月 02, 2010 天理に行ったので、善福寺に行ってきました。門は明治初年に内山永久寺から移建されたらしいです。浄土宗知恩院末文化14年(1817)天理教教祖が、五重相伝を受けたお寺です。冷泉為恭という有名な画家のお墓もありました。 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ コメント
天理教教祖誕生祭 4月 23, 2010 関西に行く用事があったので、天理市に行ってきました。 何も知らずに行くと黒山の人だかり?? おびただしい数の人がいました。 教祖誕生祭と婦人会100周年という行事があって、電車も満員、道路も渋滞… そんな感じです。 黒い法被と呼ばれるものを着ている人が多かったです。 出店も出てて、お祭りみたいな感じもありましたね。 老舗新宗教なんて記事を読んだこともありますけど、基本的には拝観料も無いみたいですし、自由に参拝するところにも入れました。 続きを読む
島薗進先生のブログ 7月 19, 2010 島薗進・宗教学とその周辺 皆さんご存じでしょうけど、宗教研究の有名人。というか、宗教学会の会長してたり、東大の教授の島薗先生のブログにおもしろい記事があったので記載します。 島薗先生は宗教学のどのあたりを専門にしてるのか分からないんですけど、もしかしたら全部なのかもしれません。最近は死生学も盛んに研究されているみたいですし、どうなんでしょうか。ただこの先生はなんかすげー。としか言いようがないですね。 人によってはご批判もあるかもしれませんけど、目を通すだけの価値は十分になると思います。 以下抜粋です。 日本の世俗化と宗教概念 2010年6月1日 シンポジウム・国際ライシテ宣言とアジアの世俗化、2008年11月28日。(後、羽田正編『世俗化とライシテ』東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」、2009年、刊に収録)。 Ⅰ.日本の世俗化をめぐる4つの考え方 日本の世俗化はいつ頃に決定的な転機があったのか。これについては、4つの考え方があり、それぞれに妥当性をもっている。 第1の考え方では、16世紀から17世紀にかけて、仏教やキリスト教勢力を抑圧して、将軍権力が確立した時期がもっとも重要な転機だとするものだ。割拠する戦国大名と一向一揆の勢力を抑えて全国統一を行った織田信長は、その過程で本願寺や比叡山延暦寺などの強大な宗教勢力を武装解除し、武将の政権に従属する地位へと貶めた。続いて豊臣秀吉や徳川将軍はキリシタンを抑圧し仏教を一面優遇するとともに、仏教教団への強力な統制体制を整えていった。その後、支配階級である武士は行政官僚へと転じ、その精神的バックボーンとして次第に儒学を学ぶようになる。仏教の影響力が後退し、儒学や神道が統治の精神的根拠となっていく過程は世俗化の進展といえないこともない。 第2の考え方では、1867年の明治維新に続いて西洋諸国を見習いながら国民国家を形成期しようとした時期にこそ、日本の世俗化の決定的な転機がある。当初、神道国教化を目指した維新政府だが、仏教勢力の抵抗やキリスト教の布教容認や信教自由制度の確立を求める西洋諸国の要求に従って、それなりに「信教の自由」や「政教分離」を国家体制に具体化していくことになる。しかし、天照大神の血統を引く天皇の神聖な地位を国家統合の中心にすえる体制は次第に整えられていった。すなわち、国家神道体 続きを読む
宗教文化士58人誕生 1月 15, 2012 昨年11月に全国6カ所で初めて実施された宗教文化士認定試験の結果が公表されました。合格者は58人、合格率は63%。資格の有効期間は5年間で、合格者にはサポート体制を準備しているらしいのですが、どのようなサポートがあるのかはまだ分かりません… これに関してなるほどっと思ったのは、資格を特定の宗教の批判あるいは布教の手段に用いてはならない、とする倫理規定を設けているところです。 宗教文化士は日本宗教学会と「宗教と社会」学会が母体となって設立された「宗教文化教育推進センター」(略称CERC、国学院大学内)が実施する認定制度でここ数年学会の中でも議論がされていました。大学3年生以上、宗教学関係の16単位以上を取得したことなどが受験資格で、毎年2回実施し、宗教に関する幅広い知識、理解力を問う。 なお、第1回の試験の全出題と解答は 宗教文化教育推進センター のホームページで公開されている。 そこには宗教を学ぶためのテキストも紹介されています。おぉ~というのから、何でこのテキストが?と思うものなどがあるかもしれませんが、興味深いものだとおもいます。 試験は数問してみましたが、一応答えられる範囲で良かった… 記号選択式 論述式 解答 続きを読む
コメント
コメントを投稿