善福寺 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 7月 02, 2010 天理に行ったので、善福寺に行ってきました。門は明治初年に内山永久寺から移建されたらしいです。浄土宗知恩院末文化14年(1817)天理教教祖が、五重相伝を受けたお寺です。冷泉為恭という有名な画家のお墓もありました。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
天理教教祖誕生祭 4月 23, 2010 関西に行く用事があったので、天理市に行ってきました。 何も知らずに行くと黒山の人だかり?? おびただしい数の人がいました。 教祖誕生祭と婦人会100周年という行事があって、電車も満員、道路も渋滞… そんな感じです。 黒い法被と呼ばれるものを着ている人が多かったです。 出店も出てて、お祭りみたいな感じもありましたね。 老舗新宗教なんて記事を読んだこともありますけど、基本的には拝観料も無いみたいですし、自由に参拝するところにも入れました。 続きを読む
宗教文化士58人誕生 1月 15, 2012 昨年11月に全国6カ所で初めて実施された宗教文化士認定試験の結果が公表されました。合格者は58人、合格率は63%。資格の有効期間は5年間で、合格者にはサポート体制を準備しているらしいのですが、どのようなサポートがあるのかはまだ分かりません… これに関してなるほどっと思ったのは、資格を特定の宗教の批判あるいは布教の手段に用いてはならない、とする倫理規定を設けているところです。 宗教文化士は日本宗教学会と「宗教と社会」学会が母体となって設立された「宗教文化教育推進センター」(略称CERC、国学院大学内)が実施する認定制度でここ数年学会の中でも議論がされていました。大学3年生以上、宗教学関係の16単位以上を取得したことなどが受験資格で、毎年2回実施し、宗教に関する幅広い知識、理解力を問う。 なお、第1回の試験の全出題と解答は 宗教文化教育推進センター のホームページで公開されている。 そこには宗教を学ぶためのテキストも紹介されています。おぉ~というのから、何でこのテキストが?と思うものなどがあるかもしれませんが、興味深いものだとおもいます。 試験は数問してみましたが、一応答えられる範囲で良かった… 記号選択式 論述式 解答 続きを読む
井上頼圀 5月 23, 2010 井上頼圀(いのうえよりくに) こちらも新宗教研究をしていたらぶつかった研究者でしたので、ネットで調べたものを記載します。 それにしても明治から昭和初期までにかけての研究者というのは業績が半端無い人が多いです。 〔生没年〕 天保10年(1839)2月18日~大正3年(1914)7月4日 〔享年〕76 〔生国・住国〕 江戸 : 東京都 〔学統〕 相川景見・平田篤胤(没後門)・権田直助 国学者。江戸神田松下町の医者井上頼正の子として生まれる。慶応3年12月、すでに京都の勤王志士と交流のあった権田直助の後を追って京に上り、国事に奔走。維新後は皇漢医道御用掛・権少教正・宮内省御用掛・御系譜課勤務・國學院講師、学習院教授、宮内省図書寮編集官などを歴任する。 明治38年、文学博士となる。 幼少より学問を好み、安政3年5月、相川景見に歌を学び、また儒学・医学など諸学・諸芸に通じた。文久元年11月8日、平田銕胤の門人となり、本来門外不出である『古史伝』の拝借を許されるほど信頼を受ける。また元治元年には、同門の権田直助に皇朝医学を学んだ。明治15年、松野勇雄ら同志を糾合して、皇典講究所を設立。その講師となって教育・運営に尽力した。 学者としては国史諸本の校訂、神社史考証を行なうほか、子弟らとともに貴重本の書写を行ない、その保管に努めた。その蔵書は現在、無窮会専門図書館神習文庫として遺存している。浩瀚な著述はないが、一度校訂されたものは学会の権威となった。また、平田篤胤の主著『古史伝』の未定稿部分を、平田銕胤・矢野玄道と協力して完成させるととともに、篤胤・直助ら先師の業績を刊行するなど、その顕彰に努めた。 天保10(1839)江戸神田松下町の医者井上頼正の子として生まれる。 安政3(1856)相川景見に歌学を学ぶ。 文久元(1861)平田銕胤の門人となる。 文久元(1861)【成立】易学こころおぼえ《えきがくこころおぼえ》 文久3(1863)【成立】新学異見序文斥兆《にいまなびいけんじょぶんせきちょう》 元治元(1864)権田直助に皇朝医学を学ぶ。 慶応元(1865)【成立】抄書《しょうしょ》 慶応3(1867)上京し、国事に奔走。 明治2(1869)7月、大学中助教、10月、皇漢医道御用掛。 明治5(1872)7月、教部省十二等出仕、8月、教部権中録、11月、教部省判任官。 明... 続きを読む
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