投稿

天理教と雅楽 其ノ十二

昭和31年は教祖70年祭の執行された年で、このとき、記念の演奏会が1月25日、28日、2月5日、15日と開かれており、このうち、28日は、青年会恒例の舞楽の会であった。 翌32年の新春の1月3日には、日本短波放送の要請により天理教教会本部雅楽部が吹き込んだ「林歌」が流された。 4月20日には青年会主催にて、「雅楽と舞楽の夕並びに映画」が開催された。 昭和33年10月26日は天理教芸術祭の一環として開催された催しで「雅楽御供え演奏」が行われた。

宗教文化士58人誕生

昨年11月に全国6カ所で初めて実施された宗教文化士認定試験の結果が公表されました。合格者は58人、合格率は63%。資格の有効期間は5年間で、合格者にはサポート体制を準備しているらしいのですが、どのようなサポートがあるのかはまだ分かりません… これに関してなるほどっと思ったのは、資格を特定の宗教の批判あるいは布教の手段に用いてはならない、とする倫理規定を設けているところです。  宗教文化士は日本宗教学会と「宗教と社会」学会が母体となって設立された「宗教文化教育推進センター」(略称CERC、国学院大学内)が実施する認定制度でここ数年学会の中でも議論がされていました。大学3年生以上、宗教学関係の16単位以上を取得したことなどが受験資格で、毎年2回実施し、宗教に関する幅広い知識、理解力を問う。 なお、第1回の試験の全出題と解答は  宗教文化教育推進センター  のホームページで公開されている。 そこには宗教を学ぶためのテキストも紹介されています。おぉ~というのから、何でこのテキストが?と思うものなどがあるかもしれませんが、興味深いものだとおもいます。 試験は数問してみましたが、一応答えられる範囲で良かった… 記号選択式 論述式 解答

天理教と雅楽 其ノ十一

昭和30年になると、雅楽だけでなく、天理教の音楽活動に一大転機をむかえた。この年の9月27日に、天理教音楽研究会が「おつとめ」研究の一助として発足したことにより雅楽の活動に変化が起こる。 この研究会の一部門として、雅楽部も設置され、天理教における活動の方向性を示すこととなる。 発足式の演奏会では管弦二曲が演奏されている。

謹賀新年

明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願い致します。

天理教と雅楽 其ノ十

昭和28年2月には、教会本部雅楽部が大正12年に第一回を記した演奏会を「よなほり演奏会」として復活し、10月には、青年会主催の青年雅楽発表会が天理教館において開催された。この演奏会には、天理教校専修科などが出演した。 このとき東京教区は新作舞楽「黎明」を発表し、大阪教区は「迦陵頻」を童舞で披露したとされている。

天理教と雅楽 其ノ九

太平洋戦争勃発は、少なからず天理教の雅楽に影響を与えたようである。年々盛んになっていた演奏会は開かれることはなく、祭儀や慰霊に演奏する程度となった。この影響は、戦中の困窮とも重なり、戦後もしばらく続いたようである。 教会本部では、楽器の購入、譜本の作成、講習会の開催などを通して徐々に復興を目指していた。 昭和22年に大阪教区雅楽部の発足、昭和24年の雅楽愛好家が観月演奏会を開くなど教団内の雅楽の復興の兆しがあるように思えるが、全体的な活動としては昭和26年頃になる。 昭和26年に、東京教区雅楽が再結成された。また河原町雅韻会も、初心者の合宿講習会や、各管ごとの講習会を開催した。 昭和26年に秋季大祭の日に、「舞楽奉納の夕」を開催し、教会本部雅楽部の主催で開催され、このときに東京教区が創作舞楽「陽和楽」を披露したとされる。 この頃から徐々に雅楽への関心が再び出て来たと言えるであろう。

国家神道と日本人

イメージ
この新書は国家神道という明治維新前後の宗教形態を明らかにすることで、日本人の宗教観のようなものを明らかにすることを目的としている本というのが感想でありました。 このような試みは 神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103) に代表されるようにかなりの研究の蓄積がある分野と言えるかと思います。 天理教の発生時期の周辺の事上もよく分かると思います。 それも踏まえて読んでみると良いかと思いますが…