2012/11/25

Kindleの本格参入


アマゾンで正式にオープンになりました。まだまだ漫画や小説が主流なんでしょうけど、最近では人文系学問もPDFで論文公開というところが多いですけど、そのうち紙媒体からシフトしていくんでしょうか。
実際フィールド調査をするのに、今までは紙(メモ用紙)だったのが、ノートパソコンになり、今ではiPadという人もあると思います。
読みたい本も何冊もカバンに入れずにすみますし、こっちのほうが便利なのかな。
でも本に付箋紙でも貼りながら、ペンでマーキングしていくほうが良いような。
電子書籍でもそんなことはいくらでもできるんでしょうけど、どうなのかなぁ~~

実際、使ったことないから何とも言えませんが、端末は何が一番いいのだろうか。

2012/10/31

「コーラン焼却」の少女

パキスタンでキリスト教徒の少女がイスラム教の聖典「コーラン」を焼却したとして告発された事件で、首都イスラマバードの裁判所は20日、訴えを棄却する決定を下した。

少女は首都イスラマバード郊外に住んでいたリムシャさん。調理の燃料にするためコーランを焼いたとして、イスラム教冒とくの罪に問われていた。

裁判所は、罪状が法的根拠を欠くとの結論に達した。リムシャさんを担当する弁護士の1人は「リムシャさんは一般の市民と同様、自由の身になった」と述べた。

リムシャさんと家族は告発されたことで数週間にわたって危険にさらされ、自宅を離れて身を隠していた。

確かにイスラム圏はクルアーンが法の大原則ということもあるでしょうから、告発されることもあるでしょうけど。

2012/08/28

比叡山メッセージ2012(付・宗教界の脱原発声明等概観)


比叡山の宗教サミットの共同メッセ―ジを島薗進先生のブログで見つけましたので、記載させて頂きます。
これから宗教(者・教団などなど)


(25周年を迎えた「比叡山宗教サミット」の参加者による共同メッセージをそのまま転写します。また、その後に、諸宗教集団・宗教者による脱原発の声明や意見表明を概観した文章を添えてあります。)
2012年8月3,4日、比叡山宗教サミット25周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」に参加するため比叡山山上に結集したわれわれは、平和を願う世界のすべての人々に心からメッセージを送りたいと思う。
人類は有史以来、大自然の豊かな恩恵によって生命を維持し、さらにより利便性に富み快適な生活環境を手に入れるため、様々な工夫をこらしてきた。そのこと は、やがて科学技術の飛躍的発展をもたらし、物質中心の近代文明が人々の生活を覆い尽くすこととなった。その結果、自然の恵みを享受するという姿勢から、 自然を利用し、また改造して、より一層人間の生活を豊かにしたいという、飽くなき欲望を充足させる道をひたすら求め続けることになった。
そのようなとき、世界各地で自然災害が頻発、その甚大な被害の前に人々は為すすべもなく、呆然と立ち尽くす外なかったのが実状であろう。すなわち、科学技 術が生んだ知見によって自然災害を防ぎ得るどころか、かつて日本の物理学者、寺田寅彦(1878-1935)が指摘したように、文明が進むほど自然の猛威 による被害はその激烈さの度を増すという、冷厳なる事実を突きつけられたからである。その結果、ややもすれば自然を収奪し、思うままに利用しようとしてき たことが、いかに傲慢なことであるかに気付かされたといっても過言ではない。
特に昨年3月11日の東日本を襲った大震災と大津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所の放射能漏洩事故は、チェルノブイリやスリーマイル島の原 発事故について謙虚に学ぶ姿勢が余りにも乏しく、科学技術のもたらす安全性を過信した結果である。われわれは、技術の進歩の成果を無条件に受け入れるので はなく、その選択に深い倫理性が求められていることを知るべきである。
古代ギリシャ神話が物語るように、人類に火を与えたプロメテウスに、ゼウスは生きながら内蔵を鷲に喰らわせるという罰を与えた、という。それは、すでに文明が人類に幸せをもたらすばかりではなく、厄災を内包するということを示唆しているのではないだろうか。
核燃料から生じる危険な廃棄物の安全な処理方法が、未だ見出せない現実一つをとっても、原発を稼働し続けることは宗教的、倫理的に許されることではない。われわれ宗教者は、このことに強く警鐘を鳴らす責任があったことを、率直に反省するものである。
あらゆる宗教は、欲望の充足が幸福をもたらすのではなく、まず日々の生活の中に平安を祈り、共に生かされて生きることを神仏に感謝することを説く。今や人 類は物質文明に押しつぶされそうになっている現実に目を開き、誤りのない道を選ぶ岐路に立たされていることを知るべきであろう。
一方、自然災害が発生するたびに、自らの生命をも顧みず救援活動に従事する人々の崇高さ、黙々とボランティア活動を続ける人々の気高さ、また直接被災地に 駆けつけることは叶わぬまでも、物心両面にわたって支援し続ける人々の心の温かさに、人類の未来を見る。われわれ宗教者も、災害発生と同時に、各地で被災 者支援に労力を傾注してきたが、甚大な被害を前にして、まだまだ至らぬことを痛感せざるを得ない。
宗教者の重大な使命は、大自然の猛威によって亡くなった方々を弔うことにあると同時に、最愛の家族・友人を一瞬のうちに奪われた人々が、一日も早く平安を 取り戻し、安寧に暮らすことができるように祈念し、共に歩み続けることである。ここに集うわれわれは、諸宗教の連携を深めながら、この使命を全うすること を誓うものである。
2012年8月4日
世界宗教者平和の祈りの集い参加者一同
(付)
 脱原発を求める宗教界のメッセージは、多数出ています。この「比叡山メッセージ2012」は世界中の宗教指導者の集いでまとめられたもので、諸宗教宗派 間の調整を経たものです。超宗派の個人個別組織の共同による「宗教者は原子力発電所の廃止を求めます」という声明(2012年7月13 日)http://togetter.com/li/343855 は主に個人の意志によるもので、超宗派であっても内容は明確です。
 単一宗教によるものでは全日本仏教会の「原子力発電によらない生き方を求めて」http://www.jbf.ne.jp/2011/12 /post_214.html はきわめて広い多様性をもった日本の仏教界をまとめて提出されたもので、内容も明快で社会的なインパクトは大きいものでし た。
 個別宗派のものは宗派の考え方に即して考えをよく練ってあるものが多いです。仏教界では、臨済宗妙心寺派「原子力発電に依存しない社会の実現」 (2011年9月29日) http://www.myoshinji.or.jp/about/post_9.html  が早い時期のものです。真宗大谷派の「すべての原発の運転停止と廃炉を通して、原子力発電に依存しない社会の実現を求める決議」(2012年2月27 日) http://www.higashihonganji.or.jp/info/news/detail.php?id=380 は、これまで長期 的にこの問題に取り組んできた集団らしい踏み込んだ内容のものです。立正佼成会の「真に豊かな社会をめざして――原発を超えて」(2012年6月18日) http://www.kosei-kai.or.jp/infomation/070/post_44.html も長く国際的な平和運動に取り組んできた集団の経験を踏まえたものです。
 キリスト教では日本カトリック司教団の「いますぐ原発の廃止を~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~」(2011年11月8日) http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/111108.htm は世界のカトリック教会の考え方の取り組み を踏まえており、声明としても早い時期に出されました。日本聖公会の「原発のない世界を求めて-原子力発電に対する日本聖公会の立場―」(2012年5月 23日) http://www.nskk.org/province/others/genpatsu2012.pdf や日本同盟基督教団の「みこころの天になるごとく地にも―原子力発電にかんする理事会見解―(2012年7月9日)」は  http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20120718/p1 
2012-07-18 「教え」に基づくものであることを明確に示したものです。
 神道系らしい考え方が示されているのは、子どもの脳死による臓器移植や死刑制度にも疑問を呈してきた大本の「大飯原子力発電所再稼働に反対する教団声明」(2012年8月14日 6月14日)
http://www.oomoto.or.jp/Japanese/katsudo/seimei/seimei_genpatsu.html があります。
 創価学会については、2012年1月26日の池田大作名誉会長第37回「SGIの日」記念提言 「生命尊厳の絆輝く世紀を」でおおよその方向性は提示されているようです。
 なお、脱原発を求める宗教団体が多数派ですが、原発推進を主張する宗教団体もないわけではありません。諸宗教の動向については、以下のまとめが参考になります。http://www.circam.jp/reports/02/detail/id=2012 

2012/08/25

通過儀礼

今回も天理教とは関係ありませんが、是非紹介したいと思い、掲載しました。

フランスの民俗学者のファン・ヘネップの『通過儀礼』が岩波の文庫として発売になった??のかはわかりませんが、文庫ということで安価で手に入るようになりました。
この本は民俗学、人類学、宗教学などなど人文系学問に大きな影響を与えた文献と言えると思います。儀礼を初めて体系的に論じ、誕生から死までの折々の儀礼、入会の儀礼などを、分離・過渡・統合の過程をたどる通過儀礼の視点で捉えた。特に過渡期という境界状況の考察は、コミュニタス理論など後の人類学の理論的展開の基盤となった。

最近では、評論家の島田裕巳先生がAKBの誰かの記事を書いたことが話題になったときにおそらく議論の中心の概念となったテキストだと思います。

私は早速購入しました…

2012/08/20

天理高校野球部

今日甲子園を見ると天理高校が出てました。
そして勝利。
今年はあまり評価が高くないようですが、ベスト8まで来ました。

詳しいことはよくわからないのですが、とりあえず勝ってるなら良いと思います。

次はいつかもしれません。

2012/07/04

セミナー宗教学講義

柳川啓一編「セミナー宗教学講義」
放送大学用のテキストになるのかなぁ??
新宗教には限りませんが、おもしろいです。

偶然入った古本屋でみつけた本です。比較的古い本なんですけど、今宗教学関連でやっている先生方が若い時に講義をした内容がわかる本です。
柳川先生が編者ということもあってか東大系の先生方の名前がたくさんあります。
呼んでいて講義というか話し言葉で書かれているので、読みやすいですし、いろいろなヒントを得ることができると思います。
ご関心のあるかたはどうぞ。

2012/06/06

世界がわかる宗教社会学入門

世界がわかる宗教社会学です。
こちらの本はなんというか読みやすくて、わかりやすい。という本です。橋爪氏の執筆で、宗教社会学の視点から世界三大宗教から、儒教、道教、神道などを日本人に馴染みのある宗教を紹介しています。この本を大学の講義のテキストにしている先生も結構いるようですし、なかなかの著書だと私は勝手に思ってます。

2012/04/25

島田裕巳氏の記事

今回もちょっと興味深い記事を見つけましたので、記載します。
こういう裁判や記事を見ると宗教は難しいとつくづく思う。
後半にも島田氏は書かれていますが、布施、お供え、募金などといった金銭はこれから違法と合法という境界の線引きが難しくなってくるでしょう。

http://agora-web.jp/archives/1448627.html
これはまだ大きく報道されているわけではないが、4月13日に名古屋地裁で興味深い判決が出た。

この裁判は、名古屋市の主婦(51歳)が、熊本市の宗教法人「肥後修験遍照院」と、その主宰者である下ヨシ子氏などを相手に約950万円の損害賠償を求め たものである。名古屋地裁は、宗教法人の側に主婦が儀式のために支払った金と慰謝料を含め、約610万円を支払うよう命じた。請求額を下回ったのは、最初 の相談料などが差し引かれた結果で、宗教法人の側の完全な敗訴である。

これを報じた『読売新聞』(2012年4月13 日付)の記事では、主婦は、体調不良や子どもの病気といった悩み事を抱えていたとされる。そんなところ、2002年8月にテレビ番組で肥後修験遍照院のこ とを知り、京都府宇治市にある同院の別院を訪れた。主婦は、その別院から「浄霊で魂を清めれば、災いから守られる」と言われたため、それから2008年 11月までのおよそ6年間、「浄霊」などの儀式代として総計約530万円を支払った。

肥後修験遍照院の側は、女性は自発的に自分たちのもとを訪れたのであって、違法性はなかったと主張した。しかし地裁は、肥後修験遍照院の側は、儀式の後も 「霊に取りつかれている」などとくり返し説明し、「不安に陥れたり畏怖させたりする行為は違法と認められる」と判断したのだった。

紀藤正樹弁護士のホームページには、肥後修験遍照院の集金システムが詳しく紹介されているが、それによれば、額は時期によって異なるものの、主婦の場合、最初の相談料として3万円を支払ったのからはじまって、浄霊が3万円、守護霊を入れる儀式が20万円と進んでいった。

しかも、守護霊に対しては月1度パワーアップする必要があるとされ、それが1回1万円。守護霊の上に守護神があって、これは主宰者の下だけが入れることが できるもので120万円。これもパワーアップがあって1回3万円。そして、支配神が100万円である。主婦はパワーアップを何度もくり返すよう要求され、 それで多額の金を教団に支払った。このやり方に違法性があると見なされたわけである。

近年では、統一教会の霊感商法に対する判決に見られるように、宗教団体がご利益があるとして信者から多額の金を出させることを違法とする判決が出るようになってきた。

今回の判決の特徴は、信者に金を出させた個々の行為について、いちいちその違法性を問う必要はなく、全体として「社会的に相当と認められる範囲を逸脱」しているときには、違法と判断してかまわないとしたところにある。これは、この種の訴えが容易になったことを意味する。

今から5年ほど前、保阪尚希という俳優が「出家」するという出来事が起こった。その際に、保坂が出家した先が、この肥後修験遍照院であった。この団体は宗教法人として認証され、その総本山が「六水院」であり、六水院として知られている。

六水院は主宰者である下ヨシ子の院号で、彼女は修業して阿闍梨の地位を得たとされている。阿闍梨とは、密教の世界で秘法を伝授された僧に与えられるものだ が、山伏のような民間の宗教家が名乗っていることが多い。下の場合、真言宗や天台宗といった既成の仏教宗派から阿闍梨を授けられたわけではなく、いわば自 前の称号である。

ところが、宗教に対して詳しくないテレビなどのマスコミ関係者は、阿闍梨の称号をありがたい由緒あるものと勘違いし、それで彼らを偉い宗教家のように紹介 することがある。下はまさに、そうした形でテレビに出演し、その活動をアピールする機会を与えられた。下のことを知っているという人は少なくないだろう。

六水会のホームページを見てみると、良く言えば現代的だが、果たしてこれが宗教なのかと疑いの目を向ける人が出てきても不思議ではないものになっている。

六水院の側は、判決を受け入れず、自分たちの主張が受け入れられなくて残念だという声明を出し、控訴している。その点では判決が確定しているわけではないが、今回の判決が覆されなければ、今後他の宗教団体にも影響していくことになるだろう。

宗教に対して救いを求めて多額の献金をする人がいる。それで救われ、満足した人間はいいが、なかには救いを得ることが出来ず、献金したことを後悔する人たちも少なくない。

今回の判決は、救われると断言したり、より多くの献金をするよう誘導していた場合には、宗教法人の側が献金の返金に応じなければならないということを意味する。しかも、慰謝料まで支払わなければならないということは、そうした行為自体が違法と見なされたことになる。

判決では、儀式の効力が科学的に証明できないからといって、ただちにそれが虚偽であり、違法になるわけではないとしている。違法になるのは、いたずらに不安や恐怖を煽り、信者が自由な意志にもとづいて判断できなくなったときだと限定されている。

しかし、儀式などへの勧誘が行われる際に、信者の抱えている不安をかき立てたり、恐怖心を強めるようなやり方がとられることは少なくない。たとえば、世の 終わりが迫っているなどという終末論的な予言は、多くの宗教団体が説いてきた。となると、宗教団体の行為のなかで、違法なものと合法なものとを区別するこ とがかなり難しくなってくる。

その点で、今回の判決は、六水院だけではなく、他の宗教団体にとってもかなり厳しい判決と言える。いかなる名目であろうと、あるいはそのときは本人が承諾していようと、宗教団体が個人から多額の金を集めること自体が違法とみなされかねなくなってきたのである。

さらにそれは、宗教法人に対する課税の問題にもかかわってくる。宗教法人は収益事業には課税されているが、宗教活動には課税されていない。では、違法とさ れた方法で集められた金は、果たして宗教活動によるものと見なされるのだろうか。この点も問題になってくるかもしれない。

今や、あらゆる部門で「コンプライアンス」が求められる時代である。宗教法人もまた、その例外ではなくなってきているのである。

2012/04/21

幡鎌一弘編
2012 『語られた教祖 近世・近現代の信仰史』 法蔵館

 
という新刊です。

宗教研究のというより歴史学や宗教学と分野は分かれると思いますが、その専門の方々が執筆された論集です。実は読んでいないんので掲載しようか悩んだんですけど、書いているメンバーが良かったので掲載しました…

目次:

聖なる歴史としての教祖伝―ナラティヴによる脱構築と再構築
新宗教文化の脱教団的展開―教祖研究の“作法”をめぐって
ジェンダーの視点から見た教祖伝
如来の化身としての親鸞・一学徒としての親鸞
日蓮はどのように語られたか?―近代日蓮像の構築過程の文化分析
教祖像の力学―金光教の教祖探究から
『稿本天理教教祖伝』の成立
教祖論・教団論からみた平田国学―信仰・学問と組織

2012/04/10

戒名必要ない56%、葬式簡素派9割…読売調査



読売新聞で気になる記事がありました。こういう記事を読むと「葬式」って必要ないのかな~~と思う反面これは戒名の話で式自体は行う。ということなんだろうか。天理教には関係ありませんが…

人生の通過儀礼というと大げさかもしれませんけど、どうなのでしょうか。それに葬式って本人じゃなくて残された家族がすることだからここらへんも遺言でも残しておかないと本人の思い通りにはならないでしょうし。

時代と一言で片付けられることじゃないと思いますが、なかなかこういう数字で見ると考えさせられますね。
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読売新聞社は2月から3月中旬にかけて冠婚葬祭に関する全国世論調査(郵送方式)を実施した。

 冠婚葬祭を簡素に行う方がよいか、盛大に行う方がよいかを個別に聞くと、「簡素に」との答えは「法要」96%、「葬式」92%、「七五三」86%、「結婚式・披露宴」84%で、いずれも90%前後に達した。

 これらについて、慣習やしきたりにこだわらなくてよいと思う人の割合は、「結婚式・披露宴」78%、「法要」59%、「葬式」58%、「七五三」54%とすべて半数を超えた。冠婚葬祭をめぐる国民の意識は多様化している。

 自分の葬式を仏教式で行う場合、戒名(法名)が「必要ない」と答えた人は56%で、「必要だ」43%を上回った。年代別でみると、「必要ない」は40歳代で最多の63%となるなど、20~60歳代の各年代で多数だったが、70歳以上だけは「必要だ」54%が「必要ない」44%より多い。



2012/03/28

臨床宗教師の創設:東北大学

東北大:宗教の枠超え悲嘆と向き合う 来月から研究の講座を設置 臨床宗教師の創設も

という記事を見つけました。本当に興味深い記事でしたので、記載させて頂きます。


東北大は26日、宗教者が特定の宗教を超えて人々の悲嘆と向き合えるよう研究する「実践宗教学寄付講座」を4月から3年間、大学院文学研究科に設け ることを正式決定した。宗教への中立性を求められる国公立大では異例の試み。将来的には宗教者らが人々の悲しみを癒やす「臨床宗教師」(仮称)の資格制度 の創設を目指すという。【平元英治】
 県内のキリスト教系団体でつくる一般財団法人「東北ディアコニア」からの寄付金で運営。教授1人、准教授2人を置き、東日本大震災により家族や知人を失った被災者が悲しみに沈んでいることを受け、宗教から被災者に寄り添う方法を模索する。
 欧米で宗教者が大学で専門教育を受け、軍人や治療の見込みがない患者の悲嘆に向き合う「チャプレン」として働く仕組みが定着していることを研究。 大学などで日本の伝統的な生命観などを学びながら、人々の人生と向き合えるよう育てる仕組みづくりを考察する。震災の被災者支援に携わってきた仏教の僧侶 らを招いた講義も検討している。
 講座の立案者の一人、東北大の鈴木岩弓教授(宗教民俗学)は「震災では万単位の犠牲者が出た。やりきれない思いをしている遺族や、死生観を考え直 した人々はその何倍もいる。『臨床心理士を配置すれば、被災者の心が癒やされる』というレベルを超えている」と講座の必要性を強調している。
 ディアコニアの川上直哉理事長は「宗教者の仕事は、人々の苦しみを軽くすること。役割を更に果たすためのステップになるよう期待している」と話している。

2012/03/22

日本人の死生観を読む


毎日新聞の今週の本棚という企画欄に島薗進先生の『日本人の死生観を読む』が紹介されていました。
日本の新宗教研究でも著名な先生ですので紹介致します。

以下の通りです。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120318ddm015070013000c.html


今週の本棚:沼野充義・評 『日本人の死生観を読む』=島薗進・著 (朝日選書・1470円)
◇むき出しの「死」とまともに向き合うために
文明はおぞましいものを人の目から隠す。その最たるものは死だろう。特に日本では報道でも死体を映しだすことを極力避けるので、いまの子供たちは人の死に直面することがほとんどない。ところが、昨年三月の大震災は突然、死をむき出しの形で私たちに突きつけた。一方、原発事故はまだ放射能による死者を出していないと指摘する人がいるとはいえ、多くの人々と広大な土地と自然を緩慢な死の潜在的な危険にさらした。

そんな折に、ぜひ読むべき好著が出た。『日本人の死生観を読む』は、近代日本において「死生観」を表現した日本人の書物やテキストを読み解いていくことによって、人の生き死にとはいったい何であるのか、考える本である。著者は「死生学」という耳慣れない多分野的学術研究のリーダー格として尽力してきた宗教学者。「納棺師」、つまり死者を葬儀の前に棺に入れる儀式に携わる人を主人公とした映画「おくりびと」とその原作から説き起こし、「死生観」という言葉を確立した明治時代の宗教思想家、加藤咄堂(とつどう)にいったんさかのぼり、それから作家の志賀直哉、民俗学者の柳田国男とその業績を引き継いで独自の学問体系を展開した折口信夫、戦艦大和に乗って沖縄特攻作戦をかろうじて生き延びた吉田満、そして最後には、がんと直面して生きた宗教学者の岸本英夫と作家の高見順へと、考察を進めていく。

ここに登場する死生観はじつに多様であり、ここで簡単に要約することはできない。儒教・仏教・武士道を背景に「死生観」を打ち立てようとした加藤咄堂に対して、乃木大将殉死の報(しら)せを聞いて「馬鹿な奴(やつ)だ」と日記に書いた志賀直哉。日本の「常民」に見られる「円環的」(生まれ変わりを信ずるといった)死生観を理解しながら、それが近代社会においてどのように生かされうるのかについて考えた柳田と折口。戦争やがんといった、個人の力では対抗できないものに直面し、虚無を見てしまったところから、改めて生の意味をとらえ直した吉田満や高見順。

ちなみに、ロシアの文豪トルストイは、若いころ、ある田舎町の宿で夜中にはっきりした訳もないのに、それまで体験したこともない激しい死の恐怖に襲われたという。ある意味では、その後の彼の生と巨大な作品の数々は、その恐怖を克服しようとする努力の軌跡だった。私たちはよりよく生きるためには、そして、生きることの喜びを感じるためには、死を見つめなければならない。それはまた本書から響いてくるメッセージでもある。島薗氏の書き方は学者的でつねに冷静、思いのたけを感情的に吐露するということはないが、それだけにここで取り上げられている事例の一つ一つが重く胸を打つ。

本書の効用のもう一つは、優れた文学作品の力を改めて、死生観という角度から照らし出してくれることだ。冒頭に引用される宮沢賢治の「ひかりの素足」は、雪の中で死にゆく弟を必死に助けようとする兄の話だが、生と死を見つめる賢治の透徹したまなざしには、誰しも心を揺さぶられることだろう。学校で読まされたとき退屈だった志賀直哉の『城(き)の崎にて』も、見違えるようだ。

私は根が軟弱なので、いまだに権益を守ることや保身に汲々(きゅうきゅう)としているように見える電力会社経営者や、役人や、御用学者たちに、「責任を取れ」などとは言わない。ただ、せめて死にまともに向き合いなさい、と言いたい。どうかこの本を読んで考えてください。

宗教学者の著書が全国版の新聞で紹介されることって珍しい(よくわかりませんが…)かと思い紹介いたしました。

2012/03/20

天理教教義学研究―生の根源的意味の探究

澤井義次著『天理教教義学研究―生の根源的意味の探究』
昨年の11月に出版された書籍です。なぜかチェックしていなくて最近になって存在を知りました。
天理教教義学というと諸井慶徳氏がかなり精力的に行っていたようですが、これまでは同名のタイトルの書籍はありませんでした。
そういう意味では天理教を内側から見た学問としては意味のある一冊ということになるかと思います。
私のような浅学には深く理解はできませんが、ご興味のあるかたはどうぞ…



2012/03/16

大乗仏教と小乗仏教とは何か?

今回は天理教や新宗教とはことなることを書きます。
というのもタイトルにあるように何がどう違うのかいまいちわからないからなんです。
大乗は北伝とも言われ、サンスクリット語の仏典が主に翻訳され中国、朝鮮半島、日本と伝わって来ました。
小乗は南伝とも上座部とも言われパーリ語仏典が主に翻訳され、スリランカ、ミャンマー、タイという具合に東南アジア諸国に伝えられました。
お釈迦様は81歳で亡くなられ(入滅)ました。仏典というのはガヤー村のピッパラ (pippala) 樹の下で悟りをひらきその後お弟子さんたちに説いた教えをまとめたものだと解釈してます。
それらのまとめたものは八万四千のお経があると言われており、直接お釈迦様の口から説かれたものを小乗教典。お釈迦様の教えに従って教えをより深く説き明かしていって作られたお経や注釈書が大乗教典と呼ばれているようです。
これらが北と南に分かれて時代とともに解釈が変わっていった。というぐらいのことなんでしょうか。
小乗は出家しないと涅槃の世界にはいけないと思っていたんですけど、小乗でも出家しなくても阿羅漢になれるということらしく、だんだんややこしくなってきました。

大乗仏教と小乗仏教の根本の違いはこの点だと思っていたんですけど、実際は違うようです。

やはり仏教という枠組みで考えること自体が無謀という一言でかたづけられるということなんでしょうか…

2012/03/07

雅楽「源氏物語」のうたまい

『雅楽「源氏物語」のうたまい』佐藤浩二著
天理大学雅楽部顧問の佐藤先生の著書です。知り合いの人から譲ってもらって手にすることができました。
全ページカラーですし、文章もわかりやすく、写真もふんだんに使われているので初心者にはよろしいかと。DVDも付属していて、楽器の名称から楽曲の説明がわかりやすくされています。特に天理大学といえば「伎楽」ですが、伎楽の説明もありますので、ご興味のある方はどうぞ。

2012/02/08

天理教と雅楽 其ノ十三

昭和35年は、教団内で盛んに雅楽講習会が行われた。
教会本部でも、この年の6月に元宮内庁楽師の豊昇三氏を講師として笙の講習会を開催している。
その後も元宮内庁楽師を読んで講習会を開いており、その中に笙は豊昇三氏、篳篥は久保喜久夫氏、龍笛は岡雅雄氏を招いている。岡雅雄氏はその後天理教音楽研究会雅楽部講師となり、天理教の雅楽のために尽力している。

2012/01/23

天理教と雅楽 其ノ十二

昭和31年は教祖70年祭の執行された年で、このとき、記念の演奏会が1月25日、28日、2月5日、15日と開かれており、このうち、28日は、青年会恒例の舞楽の会であった。

翌32年の新春の1月3日には、日本短波放送の要請により天理教教会本部雅楽部が吹き込んだ「林歌」が流された。

4月20日には青年会主催にて、「雅楽と舞楽の夕並びに映画」が開催された。

昭和33年10月26日は天理教芸術祭の一環として開催された催しで「雅楽御供え演奏」が行われた。

2012/01/15

宗教文化士58人誕生


昨年11月に全国6カ所で初めて実施された宗教文化士認定試験の結果が公表されました。合格者は58人、合格率は63%。資格の有効期間は5年間で、合格者にはサポート体制を準備しているらしいのですが、どのようなサポートがあるのかはまだ分かりません…

これに関してなるほどっと思ったのは、資格を特定の宗教の批判あるいは布教の手段に用いてはならない、とする倫理規定を設けているところです。

 宗教文化士は日本宗教学会と「宗教と社会」学会が母体となって設立された「宗教文化教育推進センター」(略称CERC、国学院大学内)が実施する認定制度でここ数年学会の中でも議論がされていました。大学3年生以上、宗教学関係の16単位以上を取得したことなどが受験資格で、毎年2回実施し、宗教に関する幅広い知識、理解力を問う。

なお、第1回の試験の全出題と解答は 宗教文化教育推進センター のホームページで公開されている。

そこには宗教を学ぶためのテキストも紹介されています。おぉ~というのから、何でこのテキストが?と思うものなどがあるかもしれませんが、興味深いものだとおもいます。

試験は数問してみましたが、一応答えられる範囲で良かった…

記号選択式
論述式

解答


2012/01/05

天理教と雅楽 其ノ十一

昭和30年になると、雅楽だけでなく、天理教の音楽活動に一大転機をむかえた。この年の9月27日に、天理教音楽研究会が「おつとめ」研究の一助として発足したことにより雅楽の活動に変化が起こる。
この研究会の一部門として、雅楽部も設置され、天理教における活動の方向性を示すこととなる。
発足式の演奏会では管弦二曲が演奏されている。

2012/01/01

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